KIMOCHIを共有することはほんとうに可能なのか?ということ。
椎名林檎さんもあまり知らない。
向井秀徳さんはほとんど知らない。
ふたりの関係性の事実を詮索しようなんて全然おもわない。
けれど、このふたりの映像には、魅せられる “NANIKA” がある。
その “NANIKA” は、このようなコミュニケーションのかたちでしか一緒になれない「nanika」なんだろうって気がします。
その「nanika」は、とっても尊いモノで、あまりに遠くて、結局のところ、だれしも辿り着いたことがない。このときのこのふたりにさえ、いき着けなかったんじゃないかなって気がします。あとほんの少しのところだったんだけれど。
だから、またふたりは同じ道を辿る。もっとうまく、もっと丁寧に、もっと注意を払って近づこうとするのだけれど。その過程自体が「nanika」からふたりを遠ざけるとでもいうように、
って気がします。